アディダスの歴史や特徴とおすすめスニーカー
世界的なスポーツカンパニーとしての地位を確立したアディダス(adidas)。数々の名作スニーカーを世に輩出し、いまや知る人の方が少ない程になった、スポーツスニーカーの補強の為に編み出された3本のバンテージはブランドの象徴になり、スリーストライプラインという名称で親しまれているスニーカーブランドの名門です。
そんなadidas【アディダス】のスニーカーの歴史を紹介しながら魅力に迫ります。
スポンサーリンク
スニーカーの人気ブランド【アディダス(adidas)】とは?
アディダス(adidas)はオリンピックに90年間近くスニーカーを提供し続け、ロンドンオリンピックの際は25種目ほぼ全ての競技にスニーカーを投入し、アスリートの足元を支えるために様々な最新技術を研究している企業です。
オリンピックの競技場と同じトラックを設置してデータを集計したり、太陽光、気温、風等を再現出来る施設を使用した研究を行ったり、多額の研究開発費を用いて新しいスニーカーを作るブランドとして有名で、アディダスは「世界一のアスリートに世界一のシューズを」という、素晴らしい開発哲学の元にスニーカーが製造されています。
アディダス(adidas)の規模
世界的なスポーツカンパニーとして名作スニーカーを発表し続けるアディダスは、年間売上高が119億9000万ユーロ、そして従業員数は42,540人の巨大企業で、アディダスは全てのスポーツ用品がそろうブランドとして認知され、アウトドアラインが登場した後、1998年には直営日本法人が設立されました。
アディダス(adidas)の歴史
1920年、ドイツのニュルンベルクにて靴職人の息子として生まれた、アドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラーの2人が共同で資金を出し、靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立した事でスタートします。
兄のルドルフが販売を担当し、弟のアドルフは製造を担当しました。
「それぞれのスポーツにあった専用のスニーカーが必要だ」と考え、それを具現化したスニーカーはアスリート達に大変好評となり、数多くの大会で好成績を残したためブランドの名は世界へ響きました。
ダスラー兄弟商会からアディダス(adidas)へ
順調に見えたダスラー兄弟商会ですが、内部でのもめ事は激化していました、職人気質で無口なアドルフと、営業販売が中心のルドルフの間で意見が食い違い、それがキッカケで1948年にダスラー兄弟商会は分裂する事となります。
弟のアドルフ・ダスラーは自身の相性である「アディ」と名字のダスラーから、「ダス」を採ってadidas【アディダス】というスニーカーブランドを発足させます。
ちなみに兄のルドルフはルドルフの[ru]と名字の[da]を取りRUDAというブランドを、アディダスから川を挟んだ対岸でスニーカーの製造をスタートさせ、翌年にはもっとフットワークの軽い名前を、となり社名をプーマ(Puma)に変更しました。
オリンピック等で活躍
独立後のアディダスは快進撃を続けて他のブランドを圧倒しました。
ヘルシンキオリンピックでは西ドイツの選手全員がアディダスのスニーカーを履いて以来、あらゆる方面から支持を集めるようになりました。
当時のアディダスは後にスタン・スミスと呼ばれる「ハイレット」というスニーカーを発表し、更に不屈の名作「スーパー・スター」も発表します。
まさにノリに乗っていた時代と言えるでしょう。
一時はスポーツ用品世界一位だったアディダス(adidas)
名作コートスニーカー「スタン・スミス」、オールレザーのバスケットボールスニーカー「スーパー・スター」、クロスカントリーシューズの名作「カントリー」など、今もなお不動の地位を獲得する定番モデルを次々に完成し、アディダスは創始者のアドルフ・ダスラーの考えである、選手にあったスニーカーを作り、選手と共に競技を発展させるという、その精神を貫く事でヒット商品を生み出し、世界1位の売上げを誇りました。
2005年に入るとリーボック(Reebok)を買収し、打倒ナイキ(NIKE)の為、日夜新しいテクノロジーの研究開発を繰り返しています。
アディダス(adidas)で人気のおすすめスニーカー
SUPER STAR(スーパー・スター)
|
||
現在の価格はコチラ |
1969年に登場していらいアディダスの伝説的スニーカーとして今もなお第一線で活躍しています。
登場当時のスタープレイヤーであるアブドゥル・ジャバーが残したSUPER STARに対する印象的な言葉に「まるで足に三本線がプリントされているようだ」というのがある程に素晴らしい履き心地です。
80年代になると今度はファッションアイテムとして確固たる地位を築くこととなります。
HIP-HOPカルチャーをオーバーグラウンドに押し上げた立役者である「RUN DMC」が愛用し、adidasのスニーカーはヒップホップカルチャーと密接に関係するアイコン的存在となりました。
そんなアディダスの歴史を感じられる名作スニーカーは今どんなスタイルにもフィットするスニーカーとして、定番スニーカーの中でも高い人気を誇り、年齢を問わず多数の人に愛されているスニーカーです。
STAN SMITH(スタン・スミス)
|
||
現在の価格はコチラ |
ベンチレーションホール(通気穴)のあるレザー製テニス用スニーカーは当時では非常に画期的で、世界中のファンから高い支持を得て91年当時の段階で2200万足もの販売数を誇ったスニーカーで、ギネスブックには「世界で一番売れたスニーカー」として認定されている程の定番スニーカーです。
元々は1965年に「ロバート・ハイレット」というテニスプレーヤーの名を冠して作られたモデルで、「HAILLET」という名前で登場しましたが、後にアメリカのテニスプレーヤー「スタン・スミス」が、このスニーカーを愛用して活躍した事により1970年代の中盤から、彼のイラストとサインを入れて、スニーカーの名前も「STAN SMITH」に改名されて販売される事になった歴史深い逸品です。
COUNTRY(カントリー)
|
|
現在の価格はコチラ |
1973年に整地されていない野山を走りタイムを競うクロスカントリー用のランニングスニーカーとして、アディダスから登場したCOUNTRY【カントリー】は、非常にシンプルに仕上げられた、アッパーのデザインと、悪路と戦う為に巻き上がった爪先と踵のアウトソール。
そして当時では、世界初となった硬さの異なるミッドソールを取り付けるセメント製法を採用する事で非常に高い安定性とクッショニング性能を具現化した名作と呼ぶに相応しいスニーカーです。
84 年に放送されたアメリカの映画「ビバリー・ヒルズ・コップ」のなかでエディー・マーフィーが、スタジャンとデニムに「カントリー」を合わせた王道スタイルで登場し一大ブームが巻き起こりました。