オニツカタイガーの歴史や特徴とおすすめスニーカー
現在ではアシックス(ASICS)という社名に変更されたオニツカタイガー(Onitsuka Tiger)ですが、ファッションアイテムとしてはアシックス(ASICS)名で出されるスニーカーよりも人気が高いため、オニツカタイガーは一般向けスニーカーブランドとして今でも製造販売されています。
そんなオニツカタイガーのスニーカーの歴史を紐解きながら魅力に迫ります。
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スニーカーの人気ブランド【オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)】とは?
当初バスケットボール専用のスニーカーを製造販売する会社としてスタートした鬼塚商会は、その後様々なスポーツ用のスニーカーの製造に着手し、オリンピック日本選手団に採用されました。
今では約11店舗の直営店を国内に構えるタウンユース用のファッションスニーカーブランドとして人気です。オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)の経営理念は「スポーツを通じて青少年の健全な育成を」。
オニツカタイガー(現:アシックス)の規模
鬼塚喜八郎が1949年に神戸でスタートさせ、今では日本を代表する世界的スポーツブランドとなり、アシックス(ASICS)としては年間売上高が連結で2243億9500万円、単独で708億7800万円、従業員数は連結で5375人、単独で1330人の大企業です。
2006年3月期での連結売上げ構成は、スポーツ用スニーカーが66%、ウェアが24%、その他が10%です。
アシックス(ASICS)全体としてのブランド知名度は、ナイキ(NIKE)やアディダス(adidas)などのトップブランドと比べるとやや劣りますが、オニツカタイガーとしてのブランド知名度はヨーロッパの場合非常に人気が高く、レトロスニーカーとして確固たる地位を築いています。
オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)の由来
オニツカタイガーのタイガーマークは、第一号のバスケットボール用スニーカー製造時に、当時の工場長がシャレで靴の裏に入れた虎のマークを創始者が気に入ったため、トレードマークとなりました。
そして鬼塚の”鬼”とアジアで最も強い動物の”トラ”を合わせると想像もできない強い動物を連想させるという事で、オニツカタイガーというブランドが作られ鬼塚商会を代表するシリーズとなりました。
オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)の歴史
当時、最も製造が難しいと言われていたバスケットボール用のスニーカーの製造方法を確立することで、さまざまなスニーカーの製造が可能となると考えた鬼塚喜八郎の発想で開発をスタートさせ、1949年にバスケットボール専用のスニーカーを製造販売する会社としてスタートした鬼塚商会は、その年の9月に法人組織である鬼塚株式会社となり、選手や監督の意見を取り入れスニーカーを改良。
1953年からマラソン用スニーカーの開発を開始し、1956年にメルボルンオリンピックの日本選手団から、トレーニング用スニーカーとして正式に採用された事でスポーツ界での知名度が一気に上昇しました。
オリンピックを連覇したアベベが認めたオニツカタイガーのスニーカー
1961年には後にオリンピックのマラソン種目で連覇を達成する事になる裸足のランナー”アベベ・ビキラ”が来日。アベベ・ビキラが宿泊するホテルに表敬訪問を行い「裸足と同じくらい軽い靴を提供するから試してくれ」と説得。
アベベはオニツカタイガーのスニーカーを履いて優勝するというエピソードで世界が注目し、日本人の選手だけでなく、海外の一流アスリート達からも支持を得てナイキ(NIKE)の前身であったBRSが、オニツカタイガーの品質の高さと価格の安さに感銘し輸入販売代理業務を開始しました。
オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)とナイキ(NIKE)の関係
オニツカタイガーと当時のBRS(ブルーリボンスポーツ)は極めて良好な関係で、業務提携によるスニーカーの輸出は大成功となりアメリカの西海岸地域を中心に好調に売上げました。
しかし共同マーケティング会社を設立するまえにBRSは事前通知なく製造を他の会社に変更し、契約書の盲点を突き、商品名の使用に関してオニツカタイガーを告訴し、和解金として2億円近い金額の支払いを強いられる事となりました。
オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)で人気のおすすめスニーカー
TIGER CORSAIR(タイガー・コルセア)
現在の価格はコチラ |
1960年代の後半に、アメリカ市場に向けて販売されていたランニングシューズに対して、ナイキ(NIKE)の前身であるブルーリボンスポーツからクッション性能の不足を指摘され、ソールの厚みを従来よりも8mmプラスし24mmへと変更するなどの様々な改善をおこないました。
アメリカ人用に柔軟なクッション製を搭載したランニング用のスニーカーとして作成し、アメリカ国内のみで販売された事で、爆発的な人気となった”Cortez(コルテッツ)”その人気の背景には70年代のジョギングブームもあり、このブームは日本へも飛び火しました。
しかしスニーカーフリークな人達なら、このスニーカーの名前にピンと来ると思います。今でも”Cortez(コルテッツ)“はナイキ(NIKE)の歴史あるスニーカーとして販売されていますよね!
そうなのです、この名前を巡ってオニツカタイガーとBRSは裁判を行ったのです。その後オニツカタイガーは商品名をTIGER CORSAIR(タイガー・コルセア)に変更、今でも多くの日本人、そしてヨーロッパ地域でファッションアイテムとして強い人気を誇るスニーカーです。
MEXICO66(メキシコ66)
現在の価格はコチラ |
オニツカタイガーの名作スニーカーの中でも、定番中の大定番と言えるのは、今で言うアシックスストライプ(当時はメキシコラインと呼ばれた)がサイドに使われた、MEXICO66(メキシコ66)と呼ばれるトレーニング用のスニーカーです。
1962年に作られた原型は「リンバー」と呼ばれる機能美に満ちあふれた名作スニーカーで、その細身のフォルムと踵のフラップはオニツカタイガーらしいディテールを持っています。
2000年にオニツカタイガーの復活プロジェクトが開始された際に最初に着手されたのが、このMEXICO66(メキシコ66)の原型であるリンバーのリプロダクトでした。
それほどまでに人気がアリ、ファッションアイテムとして確固たる地位を持つスニーカーなのです。
MEXICO MID RUNNER(メキシコ・ミッドランナー)
現在の価格はコチラ |
今現在、日本はもちろんの事、ヨーロッパの若者を中心にレトロスニーカーとして人気の高いモデルが、MEXICO MID RUNNER(メキシコ・ミッドランナー)と呼ばれる、このスニーカーです。
1964年の時点で存在していたのですが、当時のカタログにも登場していない幻のスニーカーで、日本代表選手しか履く事の許されなかった特別なモデルで市販される事がありませんでした。
そんなミッドカットモデルのこのスニーカーが、オニツカタイガー復刻の場面で、初めて一般人に対して販売される事となり、そこから爆発的な人気を獲得しています。